ソイ ー通り抜け出来ませんー

ソイという言葉は、タイに一度だけ数日間観光で訪れても耳と記憶に残る。それ位、タイという国、特にバンコクという町と人の在り方、生き様と深いところで関わっている。ソイというのは、要するにその殆どが通り抜け不可能な裏通りのことで、バンコクの町は、名前のついている主要な街路を除くと殆ど全ての道路はソイである。図を見ていただきたい。これは、ある日本人向けの不動産屋が苦心惨憺して作成した、賃貸アパートの所在地図の一部分である。バンコクに多少とも仕事などで縁のある人はすぐに気づかれると思うが、この地図の左上から右下に向けて伸びているのは、スクンヴィットといわれる、バンコク中心部から東南に延びる幹線道路で、その上をBTS(写真参照)と呼ばれる高架モノレールが走っている。この通りに接続する殆ど全ての通りがソイである。スクンヴィットのような大きな通り直結するソイとなると、その多くがそれぞれのソイに繋がる小さなソイ、場合よってはそのソイに繋がる更に小さなソイを持っており、毛細血管のように町を覆う。中には、どんな経緯でそうなったか知るすべもないが、ぐるっと回ってもとのスクンヴィットに戻ってくる不思議なソイもある(矢印に注目)。


数少ない幹線道路と密集する行き詰まりのソイがバンコクの交通渋滞の根本原因であることは、別に交通土木の専門家でなくともすぐに理解できる。グラフ理論の基本的なアイデアを用いて、ランダムグラフとして、都市の道路網を捉えてみよう。例えば、京都のような碁盤目のようなネットワークの場合、各頂点(交差点)は4方向の道路の結節点で、グラフ理論の表現では、各ノードは4つのリンクを持つ。他方、バンコクの道路網は主要幹線の数がソイに比べて極端に小さいので、ノードの約半分はソイと幹線の組み合わせで、そのリンクは3、残りの半分は行き詰まりのソイの端っこでそのリンクは1。つまりノードあたりの平均リンク数は2に近い。ランダムグラフの教えるところによれば、1ノード平均kのリンクを持つ巨大なネットワークでは、dコのノードを隔てた任意の2地点を結ぶリンク数は、kのd乗で近似できる。言い換えるとこの数式は、d回交差点を通過して到達できる2地点の数を表している。例えば、d=10の場合、k=4の碁盤目状の場合、4の10乗で、これは約100万であるが、バンコクモデルでk=2を代入すると、約千に過ぎない。つまり、任意の2地点を結ぶトリップで、通過しなければならない交差点の数がバンコクでは非常に多くなる。しかも、幹線道路の多くは、右折禁止が非常に多いので、右折方向に進むためには、その交差点に逆方向で戻ってくる以外に選択肢が無い場合が多い。その場合、最低必要なノード通過数は3個増えてしまう。ソイが交通渋滞の原因の一つであることは無論昔から判っていることで、それなりの努力もされてはいる。

例えば、上の写真はエカマイというソイとスクンヴィットの交差点であるが、このソイは行き止まりを貫通させ、現在では幹線道路となっている。しかし、当局に出来ることには限界があるようだ。何よりもソイの行き詰まりには、家屋が建った私有地があり、しかもソイの最奥の土地は富裕層が所有するケースが多い。地下に道路を掘り進めない限り、ソイの貫通は容易ではないのだ。
ソイには基本的に番号しかついていない。バンコクの場合だと、市の中心部から出てゆく方向に番号が付けられており、市内から市外へ向かって左側方向には奇数番号のソイが、市内に戻る方向には偶数番号のソイが並ぶ。判りやすく合理的な番号の振り方で、地理不案内な人間には助かるのだが、何しろ予め計画を立ててソイが作られた訳ではないから、左右でソイの数は不揃いになってしまう。例えば最初の地図で矢印を付けたソイは左側の入り口がソイ43、右側に出てくる部分がソイ47になっているが、ソイ47とちょうど通りの反対側にあるソイは30である。スクンヴィットの左側(北側)の方に、オフィス、商業地、アパートなどが集中しているため、右側に比べて、ソイの番号が大きくなってしまうのだ。だから、ソイ46にあるはずのビルを探して、ソイ47の前でタクシーを降りて、通りの反対側に渡ると(と一言で済ませられないのがバンコクの実態で、上の写真のスクンヴィットのような大通りの横断には、それなりの決心がいるし、歩道橋は運が良くてもスモッグに霞む遥かかなたである)実は目の前の通りはソイ30で、仕方なく炎天下、騒音と排気ガスの中を歩いてゆくと、何とソイ46までは2`以上もあることがわかったりする。
ソイは市民の生活の場である。ソイの殆どで最後が行き詰まりになっているので、多くのソイは4輪車が進入禁止になっている。だから家の前のソイは子供の遊び場所。井戸も残る路地であれば文字どおり井戸端会議が毎日行われ、小さなソイでも一軒は雑貨屋、近頃ではセヴンイレブンがある。ちょっとした買い物ならそこで済ませる。朝夕には屋台も幾つか出て、食事もそこで済ませる(タイ全体ではどうかわからないが、バンコク市内の庶民の住まいには殆ど調理設備がないので、基本的に食事は全て外食か持ち帰りである)。要するに庶民の仕事以外の生活は8割がた家の前のソイで営まれるのだ。バンコクの交通渋滞の激しさを見ると、多くのバンコク市民が自家用車を持っていると考えてしまうかも知れない。実際、タイ全土の登録自家用車の70%がバンコクに集中している。それでも、ソイに住む住民にとって、日常の交通手段はマイカーではない。バスや列車、最近のBTSももちろん利用はされているが、とにもかくにも、ソイから出発してソイに戻って来る移動に欠かせないのは、次のような乗り物である。家の前からソイの出口まで運んでくれる、ソンテウと呼ばれる要するに自転車の後ろに二人分の座席をつけた乗り物、あるいはトウクトウク〔写真〕と呼ばれる、自動2輪を改造して後ろに4人分の座席をつけたもの、そして、ソイから出発して市内を縦横無尽に走り回るバイクである。

最後のバイクは、市内のどこでもみかけることができる〔下の写真〕。渋滞の中を縫うように車の間を掻い潜り、恐ろしいスピードで走り去るバイクの後ろには、片側にきれいに足を揃えて乗り、右手に朝食のコンジー(お粥)入りの袋、左手に持ったNokiaの携帯に向かって話をしているOLを見かける。そう、バイク(モーターサイ{バイタク兄ちゃんの秀逸な点描はここ})こそ、バンコクのソイに住む住民にとって、最も日常的で重要な交通手段なのである。

バンコクの他の交通手段と同じように、交通手段といっても、切符を買ってゲートを通り抜けて待っていれば目的地に着くといったものではない。バイクの後部座席でうまく乗るのはそれなりの経験とコツが必要だ。客の乗り方がへただと、運転にも差し支える。乗り心地や安全性に重点があるとは思えない交通手段だから、急カーブや急ブレーキはもちろんのこと、場合によっては多少の信号無視、赤信号を利用した道路の逆進、相手車両が避けてくれることを期待して反対車線を使った追い抜き等々、もちろんヘルメットは自分で用意していない限り、運転手のみ。いうまでもなく排ガス騒音の凄さは、タクシーのように、一応、外気から遮られている場合の比ではない。多少(かなり)の危険の見返りは、短時間で目的地につけること。

バイクに乗ると(あるいは乗る前に集団でバイクが客待ちー写真ーをしているのを見たときから)すぐに気がつくのは、彼らが着けているユニフォームとおぼしきブルゾンのような、あるいは自動車の整備工が着ている上下のツナギの上着部分だけを取ったような、いずれにしても煤けた色合いの、うわっぱりである。実は、このユニフォームこそ、彼らの営業許可証のようなもので、グループ毎に独自のユニフォームを持っている。一つのグループの構成単位は普通、特定のソイをベースとするが、大きなソイの場合、複数のグループがあったり、複数のソイをカバーするグループもあるようだ。グループの元締めは、簡単な修理設備を持っている。タクシー会社と同じような配車スケジュールを作って、グループの下にある運転手とバイクの調整を行う。元締めはどうやら殆どが、地区担当の警官のようである。はっきりしないのは、バンコクのありとあらゆる社会の他の側面と同様、このバイタクそのもの、グループ、元締め、全てが特段の公的規制に従うものではないからである。先ほどユニフォームが一種の営業許可証だといったが、そもそもバイタクに公的な営業許可は存在しない。だから、営業許可といっても、それはあくまで元締めのグループに入ることが許されたというに過ぎない。このあたりからは全くの推測であるが、実は、バイタクはひょっとしたら厳密には違法であるのかもしれない。こういうと、やたらと偏見を助長するようであるが、タイで警官という存在は、殆どありとあらゆるネガティヴイメージの象徴のようになっている。汚職、腐敗、ボス支配、ポストの売買、組織暴力との癒着等々。実はバイタクはそもそも違法であるとするなら、話は実に良く辻褄があう。違法であれば、元締めたる警官は都合が悪くなれば、いつでも法に基づき、バイタクグループの全部あるいは一部を検挙などの法的手段を使って排除できそうだし、そういう可能性をちらつかせるだけでも十分威嚇手段になりそうだ。(本当は、バイタク営業はある時期まで違法であったが、交通渋滞の激化を背景に、当局もバイタクを禁止することの影響を考え、バイタク営業は合法であるとの決定を下した。但し現在でも、公的な営業認可がある訳ではなく、このあたりに地元警官の付け入る余地がありそうだ。)
こういう風に書くといかにもバイタクやそのグループが胡散臭く、暴力や威嚇で支配される集団のように思われるかもしれない。しかしそうではない。というか、実際そういうグループの中に入り込んで詳しい話を聞いたわけではないから確かなことは判らないのだが、バイタクに乗ってみればわかるように、殆どの運ちゃんは若い気さくで陽気な男たちで、胡散臭い、あるいは暗いイメージとは無縁である。元締めとバイタク運ちゃんの間の契約は、多くの場合、月ぎめの上納金のようなものが基本になっている。タクシーのようにメーターがあるわけでなく、バイタク毎の実収を把握するのは殆ど不可能に近いから、バイクの時間貸しの形で、元締めが収入を得るのは理にかなっている。それ以上に単純だが有効なしくみは、ユニフォームである。ユニフォームは数が固定されていて、グループに入るためには、誰かからユニフォームを譲り受けなければいけない。当然、無料ということはなく、相場があって、バイタク運転手は転業する場合、ユニフォームを売ることで、一定の資金を得る。ユニフォームは元締めが管理する参入障壁である。勝手にバイタク営業をソイの中で始めないように機能するのはもちろん、バイクユニフォームの数を固定するこで、元締め自身への歯止めにもなる。元締めの収入が時間貸しのバイクによるものであるなら、元締めは傘下のバイタクの数が多い程、収入は増えるが、バイタクの運ちゃんにとっては、競争が激しくなり客の取合い、減収になる。元締めといえども勝手なことは出来ないわけで、そのセーフガードが仕組みを支えている。

東南アジアの他の国の首都と同様、バンコクの住民の多くが地方からの流入者により占められている。バンコクでは既にかなりの比率の住民は中産階級に属し、自家用車を持ち、先進国の中産階級と比べてもあまり遜色のない生活水準にある。彼らの多くは、郊外に移り住んでおり、都心に住む住民も多くが高層のマンション(上の写真はそのような一室から撮ったもの)に住居を構える。そこで、古くからの住宅密集地にある低層住宅には、多くの地方からの流入者が住み着くことになる。バイタクの運ちゃんの多くもそのような流入者やその家族である。(このあたり、ご興味のある向きは、不二牧駿「路地の経済社会学」めこん社2001を参照されたい)。
ソイはその意味でバンコクの現在そのものであり、消えつつある都市の歴史の象徴ではない。バンコクの中央駅はファランポーン〔下写真〕と呼ばれ、中華街の近く、旧市街にある。これまた、他の東南アジアの都市と同様、中華街は他の街区とは雰囲気も違うが、その中でもファランポーンの駅周辺は独特の空気が漂うように見える。東京で未だに上野駅とその周囲で雰囲気が違うように、ファランポーンはおのぼりさんがバンコクで最初に到着する地である。その多くは生まれて初めて乗った列車に何時間、何十時間も揺られ、バンコクに住む遠い親戚や友人を頼ってやってくる。(もっとも近頃では高速バスのネットワークが発達し、彼らの多くは結ぶ地域別に4つあるバスターミナルがバンコク最初の地であることが多い)。
職業高校以上の学歴を持っていない限り、男であれば彼らが最初に得る仕事の大抵はバイタクの運転手のように非合法ではないが、かといって正規の職業とは一線を画す、いわゆるインフォーマルセクター、グレイゾーンの職種である。若い女性であれば、完全な売春婦から、相手と条件次第では、そうなりうる様々な場所でのウエイトレスや売り子、水準以上の美人であればタニヤのホステスといった職業が待ち構えている。グレイゾーンの職種には、もちろん正規の職業で得られるような法的保護や権利に欠けるものが多いのはいうまでもない。それでも、バイタクのような職業を完全なその日暮らしで一切の保障がないものと考えてはいけない。最低限ではあるが、彼らの多くは無過失事故の保険には加入していて、きちんとしたグループではある程度の休業補償もある。実は収入も決して悪くは無い。一日300バーツ程度がごく平均的な収入で、月20日稼動で6000バーツとすると、これはかなり大規模の工場のブルーカラーの平均初任給(4000-4500バーツ程度)よりはかなり高い。〔もちろん、タニヤのホステスともなれば、平均でみても月収2万バーツ程度はあり、これは、大企業の中間管理職の月収になる。〕バイクのユニフォームが5000から7000バーツで取引されていることを考えれば、彼らを社会の最底辺に位置する貧困層と思い込むのは完全に勘違いである。
それでもソイはある種バンコクという都市社会の吹き溜まりのようなものではあるだろう。バイタクの運転手、屋台の物売り、〔タニヤ程高級ではない〕クラブのホステス、おかまバーに勤める男たち(タイは目だってホモセクシュアルの比率が高い社会である)、そして彼ら収入のある人間に寄生するその数倍の人口。家族、子供、異性・同性の愛人(これもバンコクでは職業別電話帳に欄を設けたくなる程の一大職種といえる)、そしてヨーロッパや日本から流れてきた様々な前歴と年齢の男達(まあ女性もいなくはないが圧倒的に男性)。ソイが行き詰まりの裏道で、表通りに出るには、そのソイの入り口に戻るしかないというのは何やら象徴的ではある。決して貧しいとはいえない暮らしではあっても、行き場や目的の見えにくい人生、食うには困らないがかといって、将来の進路がその先に見えるとは言えない職業、ある人はソイの生活に馴染み、その奥へ奥へと進んで行く。ある者はソイの生活から表通りに戻るために悩み、働き、もがく。